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361 避難所での体験②

中越市民防災安全士会 石黒みち子(第4話)

 
私は震災直後、知人家族と一緒に道路で寝起きした。
知人宅は築後間もない頑丈な家であった。
外見は被害が見えなかったが、エレベーターが故障。
壁や階段に亀裂が多く入っていた。
車庫内は万が一大きな揺れで家が崩れたらと考え、車庫には入らず、
みんなで道路に段ボールや持ち寄った毛布など敷き、夜を明かす。

絶え間なく揺れが続く。
寒さが凍み、目を閉じ少し眠ろうと話し合って目を閉じるも眠れない。
容赦なく大小の揺れが今夜も続く。

数日後、テニス仲間に出会った。
お互い無事を分かち合い、怖かったねえと慰めあう。
避難生活を問われ、現状を話す。
彼女の家族は23日の夜、直ぐに総体に避難できたとのこと。

会った翌日に再度連絡があり、
「総体に空きが出る、来ないか」と有難いお誘い。
聞いてみると、家族の老夫婦が総体での避難生活が困難となり、
別の場所へ移るとのこと。私は喜んで申し出を受けた。
友人に感謝した。泣きそうになった。
持つべきは友と。
寒さに震え、揺れに身が縮み辛かった生活。
道路や車での生活から大勢が身を寄せている総体。
やっと安心して眠れると思ったのは束の間であった。

夜になり、見知らぬ大勢の人が夜を過ごす時間になると
畳一枚のスペースにごくわずかな手荷物を置き、
貴重品は抱きしめて横になる。
夜になっても明かりは灯り、
咳、話し声、ラジオから漏れ出る音などが気になる。
何よりもウトウトすると、後方や脇から手が伸びてきて、
貴重品バッグを引っ張る人がいる。
怖い!! 目は閉じていても眠ることができない。

こんな夜が3日続いた。
避難者が少なくなる昼間に眠るしかないか・・・。

1週間ほどすると昼間の避難者は減り、家の片づけに行き、
幼児を抱えた方々や高齢者が多く残るようになっていた。

トイレ問題。最初は流していた。
水道が止まっているため、プールの水をバケツに汲み、
「ひしゃく一杯の水で流してください」の張り紙。
その後、下水管破損が判明し、注意書きが変わった。
バケツに黒ポリ袋をかけ、新聞紙(四つ折り)を敷き、用を足す。
終わると汚物に新聞紙を被せ、ポリ袋の口をしっかりと結び、
トイレ内の汚物入れに入れる。
汚物入れはトイレ内に大きなポリ袋が用意されていた。

この時は気付かなかったが、
運営された行政や社協の方々のご苦労はいかばかりであっただろうか。
被災者目線でしか周りが見えてなく、
その当時は運営スタッフのご苦労を顧みる余裕は全くなかった私であった。
この体験がこの後に続く「人生を一転させた」出来事となった。

中越市民防災安全士会 石黒みち子(第4話)