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360 7.13水害の体験談 子ども達を守る覚悟を決めた保育所の松井さん(5/6話)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第11話)

 
その後被災した保育所は大幅に改築し、
平成17年1月4日、新しくなった保育所での保育が始まりました。
それまでの5ヶ月ほど、遠くの保育所に通うことになり、
保護者の方々にはご迷惑をお掛けしました。
私は新しくなった保育所の勤務を最後に、定年前でしたが退職しました。
あの惨状が目に浮かび今でも保育所に足を運ぶことにとまどいを感じます。

また、被災直後には、いろんな方々から水害のときの話しをしてほしいとお願いされました。
私は「なぜ、こんなときに・・・。」と思い、なかなかお話しする気になれませんでした。
今は(5年経って)、あのとき支えて下さった方々のために私にできることがあればと思い、
少しずつ話せるようになりました。

被災当時を振り返ると、必需品を整理し非常持ち出し簿を整備し、
飲料水や多少の食料を備蓄しておくことが大変重要であると感じています。
あの水害以来、どこに行くにもおにぎりと水筒を必ず持ち歩くようになりました。
そして、日常的にスタッフや地域の方々とお付き合いをすることが、
本当に重要なことだと思い知らされました。(つづく)


◆7.13水害の体験談 子ども達を守る覚悟を決めた保育所の松井さん(6/6話)

退職後しばらく経ってから、
保育所を2階建てにしてくれた斎藤元町長の墓前にお参りに行きました。

なぜだか涙がこみ上げてきました。
理由はわかりませんが、子ども達全員が無事だったこと、
そして子ども達のお父さんお母さんも全員無事だったことは、
今でも心の底から「本当に良かった」と思っています。

私は中之島というところは災害がないと思っていました。
それなのに一瞬にして泥海に呑まれてしまいました。
本当に辛い経験でした。
そういった中だからこそ、地域の方々やボランティアの方々のありがたさが身にしみました。
あのときのありがたさは一生忘れることができません。

あれから5年、先日(平成21年6月6日)、
刈谷田川で行われた凧合戦に行き、地域の方々と言葉を交わしました。
「やっとここまで来たね・・・。」(おわり)


※新潟県中越大震災から20年ということは、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年。
 7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に地域の方々にヒアリングし、
 信濃川大河津資料館にて紹介したものを読みやすく調整しました。

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第11話)