青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第8話)
地震は我が家に二重三重の災害をもたらしました。
当時、夫は単身赴任中で家には私一人でしたが、
避難所へは行かず家で夜を明かしました。
翌日は晴天に恵まれ、気を取り直して散乱した我が家の中を片づけていると
近所の石塚さんが来られて、裏の敷地に大きな亀裂が入っていると知らせて下さいました。
見に行くと亀裂はかなり長く深さもあり、大変なショックで途方にくれました。
そんな時、見廻りに来てくださった防災員の神田さんに状況を相談すると、
ありったけの町内会のブルシートで亀裂を覆って下さいました。
この作業には防災委員の方々と町内の方々の助けが有りました。
当時、我が家は外壁工事中で足場が組まれていたため、
腰をかがめ、足場をぬっての作業となってしまい、ご苦労をおかけしました。
夫不在の中、とてもありがたく精神的にも心強かったことを思い出します。
その後、長岡市調査員の親切な対応で比較的早く土嚢を積んでもらいました。
しかし、翌年の復旧工事は工事の不手際でさらに法面がえぐれるように
崩れる状態となり、大きな不安を感じました。
この時も畔上さん、神田さんに県への申し立ての相談に乗って頂き、
対応する事が出来ました。
この災害で改めて自主防災会活動の大切さ、
町内の結束力の強さを認識する事になりました。
私なりに普段から災害に対する意識を持って行きたいと思います。
当時、夫は単身赴任中で家には私一人でしたが、
避難所へは行かず家で夜を明かしました。
翌日は晴天に恵まれ、気を取り直して散乱した我が家の中を片づけていると
近所の石塚さんが来られて、裏の敷地に大きな亀裂が入っていると知らせて下さいました。
見に行くと亀裂はかなり長く深さもあり、大変なショックで途方にくれました。
そんな時、見廻りに来てくださった防災員の神田さんに状況を相談すると、
ありったけの町内会のブルシートで亀裂を覆って下さいました。
この作業には防災委員の方々と町内の方々の助けが有りました。
当時、我が家は外壁工事中で足場が組まれていたため、
腰をかがめ、足場をぬっての作業となってしまい、ご苦労をおかけしました。
夫不在の中、とてもありがたく精神的にも心強かったことを思い出します。
その後、長岡市調査員の親切な対応で比較的早く土嚢を積んでもらいました。
しかし、翌年の復旧工事は工事の不手際でさらに法面がえぐれるように
崩れる状態となり、大きな不安を感じました。
この時も畔上さん、神田さんに県への申し立ての相談に乗って頂き、
対応する事が出来ました。
この災害で改めて自主防災会活動の大切さ、
町内の結束力の強さを認識する事になりました。
私なりに普段から災害に対する意識を持って行きたいと思います。
青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第8話)
コメントをお書きください