· 

346 7.13水害の体験談 子ども達を守る覚悟を決めた保育所の松井さん(4/6話)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第10話)

 
その日は避難した子ども達の多くと一緒に中之島文化センターに泊まりました。
救援物資の食料や飲み水があり、それに電気がついて明るい場所でしたので、
保育所に泊まるよりはるかに良かったです。

子ども達全員を保護者に帰したのは翌日14日のお昼過ぎでした。
子どもを迎えに来られたおじいさんとお父さんが、重い荷物の移動や、
ヘリコプターへの誘導を手伝ってくださったから何とか避難することができましたが、
女性だけでは力が足りず困難な場面が多々あっただろうと思います。

被災後は避難所のスタッフとして従事していましたが、保育所の事が気になり、
役場に頼み許可を得て保育所の様子を見に行きました。
確か17日の朝の事だったと思います。

園庭が見えてくるにつれて、冷蔵庫、テーブル、車、車庫、屋根などが
流れ着いている様子が確認できました。
園舎の中も泥が堆積し、直径50cmほどの丸太が何本も顔を出していました。
重たいピアノが転び、冷蔵庫が元の場所とぜんぜん違うところにあって、
改めて水の恐怖を感じました。

私たちが泥出しをしていたとき、現地調査の方々が水深の高さを教えてくれました。
玄関の床から198cmの高さだそうです。
保育所が平屋建てだったらと思うとゾッとしました。

私たちは毎日7:00に集合し、子供たちのケア、
使えなくなった保育所に代わる施設の準備、被災した保育所の始末などにあたりました。
帰宅は夜遅くになり、休む暇もなく良く働いたと思います。
もっとも休んでいる暇は無かったし、休む気にもなれませんでした。
そんな中、保育所の泥出しやゴミ出しのときには
多くの方々が手伝いに来て下さって本当にありがたかったです。(つづく)


※新潟県中越大震災から20年ということは、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年。
 7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に地域の方々にヒアリングし、
 信濃川大河津資料館にて紹介したものを読みやすく調整しました。

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第10話)