関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第1話)
その日は土曜日だったが、週明けから始まる職員研修の準備もあって仕事モードだった。
せめて「美味しい物でも食べよう」と思って三ノ宮にいた時、
携帯が鳴って「招集」がかかった。
当時私は、神戸にある「人と防災未来センター」という
阪神・淡路大震災の伝承施設と研究所が一緒になった施設で働いていた。
そして翌週からの1週間、行政職員の災害対応研修を運営することになっていた。
招集の理由は「新潟県で大きな地震が発生した」ことだった。
このセンターでは、職員研修以外にも、
被災自治体を支援する人員を派遣する支援事業も行っており、
急遽、被災地への支援体制を組むことになった。
そこで、翌週からの職員研修をどうするかが問題になったが、
「おまえ一人で何とか対応しろ」という上司の命令で実施が決まり、
私以外の研究員は3日前に発生した豊岡市の水害と、新潟県中越地震に分かれて、
被災地対応をすることになった。
新潟県中越地方は、4カ月前も水害で被災していた。
センターで「ボランティア」の分野を担当していた私は、
その「水害ボランティアセンター」を訪問していたので、
当時お世話になった人達のことが気になったが、研修に集中せざるを得なかった。
その研修も、受講者だけでなく講師からもキャンセルの連絡が入り始め、
講師から資料をもらって私が代講するような事態も発生し、
被災地のことを考える余裕はなくなっていった。
そんな研修が終盤に近づいた日の夜、中越の知人から電話が入った。
「今、体育館の避難所。目の前に3000人の避難者がいる。
神戸では大規模な避難所をどうやって運営していたの?
開設から閉鎖までのプロセスを教えて」というのが、電話の内容だった。
これが新潟県中越地震との最初の関わりだった。
せめて「美味しい物でも食べよう」と思って三ノ宮にいた時、
携帯が鳴って「招集」がかかった。
当時私は、神戸にある「人と防災未来センター」という
阪神・淡路大震災の伝承施設と研究所が一緒になった施設で働いていた。
そして翌週からの1週間、行政職員の災害対応研修を運営することになっていた。
招集の理由は「新潟県で大きな地震が発生した」ことだった。
このセンターでは、職員研修以外にも、
被災自治体を支援する人員を派遣する支援事業も行っており、
急遽、被災地への支援体制を組むことになった。
そこで、翌週からの職員研修をどうするかが問題になったが、
「おまえ一人で何とか対応しろ」という上司の命令で実施が決まり、
私以外の研究員は3日前に発生した豊岡市の水害と、新潟県中越地震に分かれて、
被災地対応をすることになった。
新潟県中越地方は、4カ月前も水害で被災していた。
センターで「ボランティア」の分野を担当していた私は、
その「水害ボランティアセンター」を訪問していたので、
当時お世話になった人達のことが気になったが、研修に集中せざるを得なかった。
その研修も、受講者だけでなく講師からもキャンセルの連絡が入り始め、
講師から資料をもらって私が代講するような事態も発生し、
被災地のことを考える余裕はなくなっていった。
そんな研修が終盤に近づいた日の夜、中越の知人から電話が入った。
「今、体育館の避難所。目の前に3000人の避難者がいる。
神戸では大規模な避難所をどうやって運営していたの?
開設から閉鎖までのプロセスを教えて」というのが、電話の内容だった。
これが新潟県中越地震との最初の関わりだった。
関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第1話)