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332 青葉台3丁目自主防災会の歩み 話題(7) 中越大震災28日から避難所閉鎖まで

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第7話)

 
避難所には毎日交代で2,3人が詰めていたが、
避難されている方も日中は殆どいなく、
夜になると数世帯が身を寄せ合って休んでいるような状況となっていた。
従って我々防災委員もやる事も少なく暇を持て余すようになって来た。
避難所として使っている青葉台小学校も11月4日から授業再開の方針が決まり、
11月1日で閉鎖する事が決まった。

我々も避難所運営に持ってきた機材を防災倉庫へ戻す為に
10月30日に防災倉庫の片付け作業を行い、
31日に他町内会と避難所閉鎖に向けて
各々持ち寄った機材の確認と撤収準備作業を開始した。

1日は避難所の全員退出を確認後機材や備品を運び出し、
夕方には防災倉庫へ全て回収する事が出来た。
11月3日に自主防災会委員による中越大震災対応の反省会を行った。

多くの反省意見が出たが結論として・・・
このような大災害になった場合

「行政は当てに出来ない(行政職員も被災者)。
 ならば、住民全てが自主防災委員であり、
 住民全員で協力できる体制や日頃の啓発活動や災害への共通認識の醸成が大事」

との事を今後の課題として共通認識した。
その上で、我々だけでなく全世帯に今回の地震対応についての
アンケート調査を実施し、アンケート結果を踏まえて
「出来ない言い訳でなく、出来る方策を考える」を皆で意見を出し合い、
今後の災害に備える事とした。

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第7話)