小千谷市にぎわい交流課 地域づくり支援員 石曽根 徹(第10話)
元小千谷市地域復興支援員(小千谷市産業開発センター所属)
復興支援員として、初めての担当は小千谷市東山の十二平地区と前回お伝えしたが、
正直支援員とならなければ生涯十二平に行くことはなかっただろう。
それくらい同じ市内でも縁のない場所であった。
発災時十二平には11戸の家があったが、
防災集団移転事業で小千谷市の市街地に移転した。
しかし、かつての集落を守るため集会所の建設や樹木の整備、
石碑の建設など様々なプロジェクトがスタートしていた。
私はこの事業に支援員としてかかわり、
他の支援員とともに2年がかりで記録誌を作成し、
今も地域の人たちとの交流を続けている。
そんな縁から、東日本大震災の被害を受けた宮城県女川町の竹浦地区とも交流が始まり、
防災集団移転が終了するまで、何度か通うこととなる。
(つづく)
正直支援員とならなければ生涯十二平に行くことはなかっただろう。
それくらい同じ市内でも縁のない場所であった。
発災時十二平には11戸の家があったが、
防災集団移転事業で小千谷市の市街地に移転した。
しかし、かつての集落を守るため集会所の建設や樹木の整備、
石碑の建設など様々なプロジェクトがスタートしていた。
私はこの事業に支援員としてかかわり、
他の支援員とともに2年がかりで記録誌を作成し、
今も地域の人たちとの交流を続けている。
そんな縁から、東日本大震災の被害を受けた宮城県女川町の竹浦地区とも交流が始まり、
防災集団移転が終了するまで、何度か通うこととなる。
(つづく)
小千谷市にぎわい交流課 地域づくり支援員 石曽根 徹(第10話)
元小千谷市地域復興支援員(小千谷市産業開発センター所属)