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323 7.13水害の体験談 子ども達を守る覚悟を決めた保育所の松井さん(3/6話)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第9話)

 
「待ってろ!すぐに県警と自衛隊に連絡する!ヘリを回してもらうから、もう少し頑張ってくれ!」
ヘリコプターが来てくれればと思いながら避難方法を考えました。

保育所には平屋建ての遊戯室があり、その屋根に2階から出ることが可能でした。
ヘリコプターから救助してもらうならば遊戯室の屋根しかないと考えました。
しかし、2階と屋根の間には転落防止のフェンスがあり、
カギを開けようにもカギが保管してある1階は泥水の中です。
このままでは子ども達がフェンスを乗り越えられないため、
台のようなものをフェンスに渡して子ども達を1人ずつ抱きかかえて
遊戯室の屋根に出ることを考えました。

15:30頃、新潟県警のヘリコプターが来てくれました。
しかし子ども達は怖がっていました。
プロペラの音や風がすごく、また、逞しい救助隊員の姿が怖く映ってしまったようでした。
私たちは「あの人達は正義の味方だよ。」と子ども達に言い聞かせ、
一緒に避難してくれたおじいさんとお父さんの助けをかりて順番にヘリコプターに誘導しました。

1回の救助でヘリコプターには10人ほど乗ることができ6往復していただきました。
最初は新潟県警が、3回目以降は自衛隊が来てくれました。
全員が救助されたのは19:00頃。私が最後の避難者となりましたが、
園庭のブランコの天辺はやはり僅かに水面から顔を出している程度でした。

最初の救助隊の方に、「どこに避難するんですか?」と聞いたら、
「中之島文化センターです」と答えられました。
この保育所から500mほどしか離れていないのに大丈夫だろうかと思ったのですが、
実際に避難してみるとまったく水に浸かっていなくて、ビックリしました。(つづく)


※新潟県中越大震災から20年ということは、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年。
 7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に地域の方々にヒアリングし、
 信濃川大河津資料館にて紹介したものを読みやすく調整しました。

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第9話)