おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第5話)
(中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)
市外から、もちろん県外からもたくさんの給水車で応援来てくださったんですが
「ここに行ってください。こっちに行ってください」
という指示を私のほうで出すには出すんですが、
その場所をもちろん知らない方ばっかりなので、
カーナビが付いていたところもおそらく何台かはあったと思うんですけど、
当時まだそんなに給水車にカーナビがあるような時代ではなかったので。
そうすると道案内の職員が必要なんですね。
1台につき1人が道案内役としてどうしても必要になる。
これはもう市役所の方からお願いをしてもらって空いてる職員…、
空いている職員というと言い方は悪いかもしれないんですが、
少し応援に来てもらってその職員が給水車に乗って道案内をするというところで、
うまい具合に地図か何かを持って
給水車の方だけで行けるような体制を築ければ職員が違うことに従事できたのかな、
という風に今は思っています。
情報伝達と道案内の二つはですね、
今から思うともうちょっと工夫できたのかな、うまくできたのかなと思います。
(つづく)
おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第5話)
(中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)