· 

308 青葉台3丁目自主防災会の歩み 話題(6) 中越大震災3日目25日 以降の対応

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第6話)

 

防災委員や役員は、町内周辺の道路や歩道橋の段差や亀裂箇所に
危険注意の立て看板や通行止めロープ張りを行い、
2次的事故防止対策を行った。

テレビ等の報道関係は、朝から夕方まで1日中、
全村避難を決めた山古志村の皆さんが自衛隊のヘリで
長岡市内の体育館や施設に避難している光景を報道していた。

地域では強い余震の回数も落ち着き、
仕事に向かう人や自宅に戻り家中の片付けをする人がいて、
日中は避難所の人数も半数以下に少なくなった。
夕方までに、ガス・水道も復旧し、
日常の生活に戻れる事から避難所の人数も大幅に減少した。

翌日の26日からは避難所運営も落ち着いた事から防災員も交代での対応とした。
主な内容は避難者対応や市からの救援物資や住民からの情報の受付
及び市職員との情報のやり取りなど。

27日、地震で地盤沈下した下水道管敷設個所の復旧工事が始まった。
震災から4日と短期の工事に驚き!
(町内からの詳しい被災状況報告と市防災センター職員から迅速な復旧依頼が
被災対応担当部署に報告された事で手配がスムーズに進められたとの事であった)

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第6話)