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289 中越地震と私(その9)

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第9話)

 

11月30日になり、普通献立の給食が再開した。
12月5日には避難所となっていた講堂が明け渡され、
これにより全校が一度に集合できる場所ができたため、
早速地震後初めての全校朝会が行われた。
このように小千谷小学校(以下谷小)は少しずつ日常を取り戻し始めた。

大きな駐車場に、そして時にはヘリポートになっていた谷小のグラウンドに、
寒さに向かう中、自衛隊が設置した避難者用のテントが並んだ。
そして雪が降る前には、幾棟もの仮設住宅が建設された。

たくさんの方々が支援してくださった。
あたたかな励ましのお見舞いも、全国各地から頂いた。
現在私の手元にある記録だけでも、個人と団体合わせて204件になる。

ある児童が、街中で「見たことのない地名のナンバープレートを
付けた車が走っていること」に気付き、クラスの話題にした。
いずれも支援の車両だ。

そのクラスでは、その地名がどこなのか調べ、
拡大した日本の白地図に書き入れていった。
その地図を見ると、まさに日本中から小千谷に支援の車が来ていることが分かった。
地図を見た私も感動した。今も忘れられない。

この子供たちは、いずれどこかで感謝の気持ちをお返ししていく日がくるのだろう。
今後、持ち前の誠実さを活かし、
「感謝の気持ちを大切に」益々心をみがく教育を推進しようと、
校長が私たち職員に呼びかけた。
これも鮮明に覚えている。

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第9話)