新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行)
地震が起きた瞬間は、国際イベントを二つやっていて、外国人が何人もいたんですよ。
職員は13人いたんですけど、出張や家が全壊して出れないというので、
3名しか来れなかったんです。
外国人被災者と日本人支援者しかいないんですね。
そして日本人支援者も被災者なんですよ。
だから外部からの支援者が必要でした。
このとき、地元側の支援受け入れの窓口を1本化して僕がそれを担った。
全国への支援の呼びかけも1本化し、ここには信頼できる責任者を配置して、
僕とホットラインで結んだんですね。
このホットライン以外はいっさい外部支援者を受け入れませんでした。
「緊急時の三角ネット」という名称で全国から支援者を集めたんです。
この支援体制を作るときに、ネットワークがないので、JICAと話をして、
JICAから国際緊急援助隊にボランティア休暇を与えてもらい、
彼らがボランティアとして入ってこられるようにしました。
それから、ボランティアが泊まるところ確保する必要があったので、
地元の若い人のネットワークでアパートを確保しました。
うち(国際交流センター)が仲介するからできるんですね。
一番困るのはボランティアの宿泊なんですよ。
そういう付き合いは今でも続いています。
【執筆】
新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行)