青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第4話)
避難所の体育館の内部は落下物とホコリでまず大掃除から始めた。
屋外で待っている間に、大まかな各町内別レイアウトを決めていたので
割合とスムーズに持ち寄った発電機や投光器で灯りを付け、通路をつくり、
町内会の決めた場所にシート等を敷き座ってもらう事ができた。
他の町内から持ち込んだ発電機は購入したままで燃料が全く入っていないのもあった。
我々の持ち込んだ予備燃料で一晩、何とか対応する事が出来た。
避難所へ入るまでの待ち時間が長かった為、自宅や自家用車内避難も多くあった。
保管してあった救護物資の断熱シートと毛布も災害弱者優先配布とした。
後から来ると思われる救援物資も災害弱者から順番にする事を
避難者へ事前に説明して理解を得る事が出来た。
トイレはプールからバケツで汲んできた水を使い、最低限の汚物を流す事にした。
当時、学校のトイレは全て和式で、お年寄りや体の不自由の方は困っていた。
青葉台中学の渡辺校長が、中学校にあるかも、ということで
中学校に確認に行ったが確保できなかった。
体育館内避難者状況は、床だけでなくステージや用具入れ室等も使って混みあう中、
余震のたびに悲鳴が上がって朝を待つことになった。
我々の自主防災委員全員が黄色のユニフォームを普段から着用していたが、
地震での混乱の中、黄色が良く目立ち、
仲間同士の連絡はもとより会場全体の指揮・統率に効果を発揮した。
【執筆】
青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第4話)