· 

227 中越大震災の体験-外国籍市民の声-(その4 カナダの方)

「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第4話) 協力:国際交流センター「地球広場」

 

2004年10月23日、それはいつもと変わりのない土曜の夜でした。
私は彼女や友人たちと食事をする為に
長岡駅の東口をいつものように歩いていました。
しかし、その平穏な夜は数分にして変わってしまったのです。

突然、地面が激しく揺れ、セメントの壁は壊れ落ち、
マンホールが隆起し、一瞬にして長岡は地震の廃墟と化したのです。
私は走って友人との待ち合わせ場所へ行きました。
私の友人を含め、近所の人たちが公園の側にある神社に避難していました。

その夜、私は彼女の家族と避難所になっていた体育館へ避難をしました。
ヒーターがすでに用意され、毛布などが支給されました。
沢山の余震が続きましたが、
どれも最初の揺れの恐ろしさに勝るものではありませんでした。
館内にいる全ての人たちがお互いを励まし、
協力し合いながら眠れない一夜を過ごしました。
翌朝から10日間ほど、私は荒れ果てた彼女の家の片付け作業の手伝いをしました。

今、改めてこの震災を思い起こして考えることは、
日本の人々がこのような大きな震災を、
よくここまで乗り越えられたなという事です。

震災直後には、道路が封鎖されて避難できない人々の救出作業の為に
ヘリコプターが飛びまわり、食事の配給も始まりました。
人々が1つとなることにより、私にもいつしか、
恐怖心から安心感が生まれていました。
アメリカで起きたハリケーン「カトリーナ」による被害に対する
アメリカ政府の対応を見ていると、
日本の災害時のサポート体制がどれだけ整っているのかに気付かされます。

私は、この悪夢のような夜を一生忘れることはないでしょう。
被災された方々の一日も早いご復興をお祈りしています。

【執筆】
 「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第4話) 協力:国際交流センター「地球広場」