「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第3話) 協力:国際交流センター「地球広場」
先週の土曜日はとても恐かったです。
晩御飯の時、突然建物は激しく揺れました。
グラスと皿がたくさん割れました。
テレビとレンジが倒れました。
そして「みんな外に出てください」と聞こえました。
その時電気が消えていました。
すぐ子どもと一緒に家を出ました。
ああ・・・ぴっくりしました。
みんな日本人は外で布団とコートを持ってきていました。
みんな日本人は「大丈夫ですか」と聞きました。
二回目の地震が起きたとき、みんな一緒に野球場にいました。
その場所でリーダーが説明してくれました。
「今地震がおきた・・・・・・・・・」
三回目の地震がおきたとき、子どもが泣きました。
あとで主人はアパートへいって、
布団とコートと食べ物と飲み物をもってきました。
その日は車で寝ました。とても恐かったし寒かったです。
日曜日から水曜日までインドネシア人はみんな
三ツ郷屋のアパートで一緒に住んでいました。
その時は電話をかけるのが難しかったです。
地震のときとても恐かったですが、テレビを見た時はもっと恐くなってきました。
そしてスーパーでハラルフード (注:イスラム教徒用に処理された食品)はなかった。
私たちはイスラムだからもっと困りました。
恐かったから木曜日に新潟へ行きました。
新潟は安全な場所だから心配しなくてもいいでしょう。
新潟で私たちはたくさんハラルフードを買いました。
そして長岡へ持ってきました。
私は家族と新潟でリフレッシュしました。たくさん遊びました。
日本の地震が起きたときとても恐かったし大変でした。
その時インドネシアに帰りたかったです。
【執筆】
「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第3話) 協力:国際交流センター「地球広場」