株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第2話)
※中越大震災から20年ということは、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年…
本文章は、7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に
地域の方々にヒアリングし、信濃川大河津資料館にて紹介したものを、
読みやすく調整したものです。
本文章は、7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に
地域の方々にヒアリングし、信濃川大河津資料館にて紹介したものを、
読みやすく調整したものです。
(13日に五十嵐川右岸での水防活動を終えて)
消防団の詰め所に戻ったのが18:00頃でした。
情報が錯綜し、道路は寸断され、夜は二次災害の危険もあることから、
思うように行動ができず悔しい思いをしながら詰め所で14日の朝を迎えました。
周囲が明るくなってきた頃、五十嵐川の様子を見に行きました。
堤防に立つと対岸の曲渕の堤防がなくなっていました。
私たちは常盤橋付近に救助に向かいましたが、
徐々に見えてくる一面の泥海に思わず目を疑いました。
最初は避難誘導を行い、続いて飲料水・食料を運搬する作業に入りました。
ゴムボートに物資を乗せて胸まで浸かる泥水をかき分け避難所を目指しました。
途中、「救援物資がほしい」との声を何回かお聞きしましたが、
心を鬼にするしかありませんでした。
避難所では着の身着のまま避難したであろう方々が大勢いました。
おそらく逃げることで精一杯だったと思います。
救援物資を運んだ帰りは被災者を救助しながら戻りました。
ボートが被災者でいっぱいになると、
被災者をおんぶして泥水をかき分けながら避難所を目指しました。
このとき声をかけた方々の半数は
「食料や飲料水があれば家の2階で生活する」と言われました。
災害時の盗難を心配されたのかもしれません。
(その3へつづく・明日配信)
【執筆】
株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第2話)