· 

207 7.13水害の体験談 三条市内の消防団員(その1)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第1話)

 

※中越大震災から20年ということは、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年…
 本文章は、7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に
 地域の方々にヒアリングし、信濃川大河津資料館にて紹介したものを、
 読みやすく調整したものです。

12日の夜から降り続いた雨で13日の朝、
家の前の坂道は川のように水が流れていました。
6:00 頃、近所の川が溢れ、一部の家は浸水が始まったとの連絡が入り、
私は直ちに現地に向かい、他の団員14・5名と300個ほどの土のうを堤防上に積みました。
8:00頃には土のうを積み終え、近所の方々の炊き出しをいただいていました。
そのとき無線で、五十嵐川が危ないとの連絡が入りました。
 
私たちは西大崎に向かいました。
9:00頃に現地に着くと、五十嵐川は既に堤防天端から手が届きそうな位置まで
水位が上昇し、堤防の法面からは水が噴出していました。
私たちは急いで月の輪工法という水防活動に取り掛かりました。
人海戦術で行う土のう積では水の噴出を止められず、
近所の建設業者さんが重機で大型土のうを積んでくださって
何とか噴出をくい止めました。
 
朝からずっと水防活動を行っていたため、私たちは早めの昼食として、
用意していただいたパンと牛乳を食べているときでした。
今度は三竹で堤防から水が溢れ始めたとの連絡が入り、急いで現地に向かいました。
到着時、既に堤防から水が溢れていて土のう積みが行われていました。
私たちも先着の消防団に加わり手作業、手渡しで堤防に土のうを積んでいきました。
ふと対岸を見ると曲渕の堤防にも土嚢が積まれていました。
「何とか水位が下がってくれたらよいが・・・。」
嫌な不安を感じました。
(その2へつづく・明日配信)

 

【執筆】
 株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第1話)