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201 青葉台3丁目自主防災会の歩み 話題(3) 中越大地震初日23日 町内避難対応

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第3話)

 

平成16年10月23日中越大地震が発生し大混乱の中、初の自主防災会の活動となった。
地震でインフラ(電気・水道・ガス)は停止した。
6月の避難訓練もあって、大地震を受け、
防災委員や住民が一時避難場所のながぐつ公園に集まっていた。
直ぐに自主防災委員が外観的な被災確認と同時に
避難者からもケガ人や家屋の大きな被害等が無いかを聞き取りを行い、
大きな人的、物的被害がない事が分かった。

余震が続くなか、避難者からは皆と一緒に過ごしたいと多くの声が上がり、
町内会として市の指定避難所の青葉台小学校に避難する事を町内として決定した。
この避難所へ避難する事を数名で町内全体にメガホンで連絡した。
同時に防災倉庫からリヤカーで投光器や発電機、ブルシート、ガソリン等
必要と思われる物資を避難所へ運搬した。

避難所の青葉台小学校には他の町内の人も併せ、
多くの人が避難していたが避難所は開いていなかった。
寒い夜空の下、待っている時間はいつもの数倍に感じた。

やっと市の職員が来て、体育館の被災状況を確認していたが、
耐震強度が分からないので直ぐの開設は出来ないとの返事で啞然としてしまった。
外気温が下がって行く中、集まってくる人は増えて来る。
落下物や傾き等外観上の変化がない事から、地域内の町内会長等関係者で相談し、
地域として自己責任で体育館に入る事で決着した。

【執筆】
 青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第3話)