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192 第7話 東川口町会に企画部門はない

東川口町会 庶務 上村光一(第10話)

 

東川口町会の庶務になって今年で10年になる。
当初、関連会社に転籍して柏崎の事業所に通勤していた。
町会の仕事に理念のないまま会長の指示通りに書類を作り、
会議を開き、ほぼ1か月に1回の町内行事を淡々と執行していった。

2年もすると毎年同じことを繰り返しているだけの事を理解し、
昨年度の書類をチョコチョコと直して協議員に提示して事業計画を遂行した。
協議員は2年任期、執行部は継続任期なので、役員が変われば会の運営は執行部の言いなりに近い。
なまじ頭を使うと面倒なので、なにも考えず会長の指示通りに物事を運ぶことにしていた。

柏崎に通い始めて3年になろうかという頃、母が他界した。
中越地震の後で建て替えた家で孫たちと過ごし、
「こっげいい家に住まわしてもらって、ホテルに住んでるようだ。幸せだいや」と賢い人だった。
一気に気が抜けて仕事を辞め主夫となった。

時間が出来て町会の仕事を眺め直す。
この組織には「企画」を行う部門が存在しないことに気が付いた。
その最たるものが防災訓練であった。

「防災訓練をしているだけまだまし」というのが一般的な町内会とも噂に聞くが、
中越地震であれだけの耳目を集め、支援を受けた震源地の町で、
年に1回一次集合場所に集まり、出席した人の人頭を数えて飲み物を配り、
避難場所に移動して代表区長による消防署への通報訓練や住民による水消火器の操作訓練を実施していた。

確かに体裁としては整っているが、各区の区長や防災委員は執行部で作った
シナリオをトレースすることに重きを置いていた。
しかも、シナリオは実際の時には役に立たないと区長も防災委員も自ら認め、
住民は従順に指示に従って行動する「良い人たち」だった。
「自ら考えてその時々にあった最善の行動をする」という防災の原理原則はそこには存在していなかった。

「ひと(他人)からしられて嫌だと思った事はひとにしちゃならん。
ひとにしてもらって、ありがてぇと思ったら同じことをひとにしてらんばならん」
母の口癖だった。誰かのために役に立たねば存在の意義はない。反骨心が芽生えていた。

【執筆】
 東川口町会 庶務 上村光一(第10話)