福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第9話) (元中越メモリアル回廊担当職員)
新潟県立歴史博物館との連携も、
展示施設を整備していくためにもどうしても必要でした。
当時の私たちは展示や資料の取り扱いに関しても素人当然でしたので、
展示の作り方もわかりません。
地域の復興には、記憶喪失のムラを作ってしまわないためにも、
そこにかつてあった暮らしを元通りにすることだけではなく、
地域に残された歴史的な資料を残していくことも課題となりました。
山古志村にかつてあった資料館に残されていた民俗資料などは、
新潟県立歴史博物館、新潟大学、長岡市立中央図書館文書資料室などが核となって、
学生や多くの人たちの助けによってレスキューされました。
平時から研究などでつながりがあったからこそ、
いざという時に機能的に資料レスキューが行われたことと考えています。
こういったネットワークにも加えていただき、
研究会などにもたびたび参加させていただきました。
施設をつくる際には博物館の学芸員から運営委員としても参加していただき、
たくさんの意見をいただくことになりました。
新潟県立歴史博物館では、山古志の復旧・復興支援として
企画展「山古志ふたたび」が検討されていました。
我々機構も主催のひとつとして参加させていただき、それこそ、
展示の構成やパネルづくり、資料の展示についてなど多くを教えていただきました。
被災物、つまり被災した生活道具などもケースの中で展示しました。
長岡造形大学の学生たちが制作していた地形模型なども展示に利用され、
後輩たちの活躍にも触れることができました。
協力者への調整や、すでにある資料の活用、メッセージ、
伝えたいストーリーの構築など多くを学ぶことができました。
この「山古志ふたたび」で使われた資料やパネルなどは、
当時の山古志地域のインフォメーションだった山古志会館の茶坊主に持ち込み、
この地でいずれ創ることになる「おらたる」の試行を行うこともできました。
【執筆】
福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第9話) (元中越メモリアル回廊担当職員)