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188 中越地震から半年間が復興の正念場だった(その6)  -新潟県「中越大震災復興ビジョン」公表-

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第13話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)

 

中越地震発生から半年後、それは2005年4月の新年度当初でした。
同時にそれは、平成大合併後の新しい自治体での復興計画の策定と
復興事業の推進のスタートでもありました。
そのため、復興計画の策定にあたって不可欠な復興ビジョン(復興方針)の検討を
先行しておく必要がありました。

復興基金が確定した2004年12月27日に「新潟県中越大震災復興ビジョン策定懇話会」が発足しました。
泉田知事は「専門家作業グループ」を設置し、学識研究者、民間、地元自治体による、
自由な議論によってビジョンを作成することと、
「複数の復興シナリオを作ってほしい」と要請されました。
被災者が仮住まいに入った年末からの2カ月で「新潟県中越大震災震災復興ビジョン」をまとめ、
2005年3月1日に「中越大震災復興基金」の設置とともに公表されました。

それは阪神・淡路大震災の10年目にあたり、さまざまに復興記録が公表されていた時期であり、
中越大震災復興ビジョンとしては、
10年後(2014年)に「出してはならない記録(回避すべき復興シナリオ)」と
「出すことを目指す記録(実現すべき復興シナリオ)」とを描くという
前例のない復興ビジョンでした。

“出してはならない記録”としては、
復興への大いなる努力にもかかわらず、「日本の中山間地の息の根を止めた地震」として
高齢化と過疎化を加速し、10年後の荒れ果てた中山間地の姿が描かれました。

一方、“出すことを目指す記録”としては、
「日本の中山間地を再生・申請させた地震」として、
「最素朴と最新鋭が絶妙に組み合わさり、都市と川と棚田と山が一体となって光り輝く中越」
の姿が描かれました。

このビジョンに基づき、地元被災自治体はそれぞれの復興シナリオ「復興計画」を策定し、
被災者も集落ごとの復興シナリオ「集落復興計画」を策定することとなりました。
(その7へつづく・明日配信)

【執筆】
 公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第13話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)