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187 中越地震から半年間が復興の正念場だった(その5)  -新潟県「中越大震災復興基金」の設立-(続)

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第12話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)

 

新潟県が市中銀行から3000億円を調達し、
年利2%で運用することで年間60億円の利子を生みます。
10年間で600億円の基金になりました。
銀行への利子分が国の交付税措置として負担されることで、
「特別法による措置はしないが、この基金を使って、県と被災自治体で
必要な復興事業に自ら取り組むこと」を国が認めたものでした。

この基金は行政から独立した「財団法人中越大震災復興基金」を設立して運用することとし、
既存制度の補助金事業では対応できない被災者や被災地域のニーズに
きめ細かく対応する復興基金事業として、
10年間で140以上のユニークな復興の取り組みを可能としました。
行政による公助ではなく、財団理事会で決議できる民間による支援でした。

「手作り田直し支援」「地域コミュニティ等施設再建支援」などとともに、
「復興支援員」「中越防災安全推進機構」「山の暮らし再生機構」「中越復興市民会議」など
行政と被災者・地域の間で復興を支える中間支援体制も、この基金無くしてはあり得ませんでした。

しかし、ゼロ金利の時代での東日本大震災では、
復興交付金としての復興基金を財団方式ではなく行政が直接運用する条例方式となり、
被災者と被災地域社会に寄り添う基金の役割が果たされていないのです。
(その6へつづく・明日配信)

【執筆】
 公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第12話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)