BSN新潟放送 メディア本部報道制作局 報道部長 酒田暁子(第4話)
中越地震発生後はよく旧山古志村を訪れるようになりました。
取材を重ねていくことであるフリーカメラマンと出会いました。
長岡市を拠点に活動するフリーカメラマンの男性。
闘牛や山古志の子ども達、そして集落の人たちを取材をしていると
必ず現場に顔をだしている男性でした。
聞くところによると昭和50年ころから山古志村を継続的に撮影しているというのです。
地震により全村避難が続いていた頃も
山古志の人々の暮らしを写真で記録し続けていた彼の魅力にとりつかれ、
いつしか彼を取材するようになりました。
彼を主人公にした番組を通して分かったことは「地元の人たちとの繋がり」でした。
どこへ行っても集落の人たちや子ども達は穏やかな表情で彼を迎え入れ、
「写真のおじさん」と慕っていました。
そして皆の自然体の写真を撮影するのです。
集落の人たちが戻ったときにもファインダーを通じて
人々の「今の姿」を撮影し続けていました。
こんなにも集落に溶け込み、彼には本音で話す人々。
長年の信頼感と繋がりの強さは今でも私の働き方の原点となっています。
取材を重ねていくことであるフリーカメラマンと出会いました。
長岡市を拠点に活動するフリーカメラマンの男性。
闘牛や山古志の子ども達、そして集落の人たちを取材をしていると
必ず現場に顔をだしている男性でした。
聞くところによると昭和50年ころから山古志村を継続的に撮影しているというのです。
地震により全村避難が続いていた頃も
山古志の人々の暮らしを写真で記録し続けていた彼の魅力にとりつかれ、
いつしか彼を取材するようになりました。
彼を主人公にした番組を通して分かったことは「地元の人たちとの繋がり」でした。
どこへ行っても集落の人たちや子ども達は穏やかな表情で彼を迎え入れ、
「写真のおじさん」と慕っていました。
そして皆の自然体の写真を撮影するのです。
集落の人たちが戻ったときにもファインダーを通じて
人々の「今の姿」を撮影し続けていました。
こんなにも集落に溶け込み、彼には本音で話す人々。
長年の信頼感と繋がりの強さは今でも私の働き方の原点となっています。
【執筆】
BSN新潟放送 メディア本部報道制作局 報道部長 酒田暁子(第4話)