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172 山古志から能登半島地震による被災地のみなさまへ(2)

やまこし復興交流館おらたる 小池裕子(第3話)

 

記録が紡いできた過去があり、今があるということ。
やまこし復興交流館おらたるが2013年度行った聞き取り、
及び作文集「38人がみた新潟県中越地震」を元に再編集しました。

言葉を足さず、当時の体験から生まれた事実と証言だけを時系列で並べることで、
その一つ一つが何かしらのメッセージとして、
被災地の方々の気持ちにつながるものとなれば幸いです。

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「避難所の、境のないくらしで感じたのは、みんな一緒だから頑張れるということ。」
避難所では一人暮らしだったため他の家族の間に入り、一緒に生活することとなった。
そこで感じたのは、自分だけではない、仲間がいるという思いだった。
(女性・当時50代)

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当時は学校給食の栄養管理士。
震災後は山古志に戻り、近隣の気の合う仲間(住民)とともに農家レストランを始めました。

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「錦鯉を避難させたが、放す池がないんだ。養鯉を再開するまでに、2年間もかかった。」
同業者の協力により被災した錦鯉を救出したが、池が破壊されて戻すことができない。
先が見えないなか、池の修復から始め、2年間は養殖ができないという苦闘の末、養鯉を再開した。
(男性・当時40代)

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山古志村には、錦鯉の発祥地として錦鯉の養殖が盛んな集落があります。
全村避難により錦鯉だけでなく牛など多くの家畜は集落のいたるところに取り残されたままでした。
中には、停電による酸欠や、地震の揺れによるショックが原因で犠牲となったものもあります。

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「全村避難、それは「やまこし再生」に向けた始まりだった。」
(長島忠美:当時の山古志村長。 2017年8月死去)

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「私はよそじゃ暮らせない。ここで生まれて山古志の土になる。」
(酒井省吾:前山古志村長)

【執筆】
 元 川口きずな館スタッフ・旧川口町武道窪出身 赤塚千明(旧姓 渡辺)(第5話)