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075 中越地震と私(その3)

翌朝は浦瀬経由で長岡に入った。

蒼紫神社の一の鳥居が倒れていた。

妙見堰まで来たが、千葉県警の若者約20人が道路に広がり侵入を制止している。

 

自分は学校職員で、児童の安否確認をしに行くと告げたが、

「とにかくこの先に人を入れないようにと指示されている」とのこと。

小千谷は一体どうなっているのか。

 

一度引き返し越路橋から左岸に。

道中至る所で路面が割れ、電柱が傾き、電線が垂れ下がっていた。

交差点の中心に向けて信号機が引き抜かれたヒマワリように倒れていた。

どうやってここまで来たのか市民会館前で鳩山由紀夫氏が交通整理をしていた。

 

心配していた校舎は窓の1枚も割れていなかった。

新築当時の38豪雪でも耐荷重をオーバーする中頑張ったという校舎。

最後の大仕事だったのではないか。

 

参集した10名ほどの職員は市外からの通勤者ばかり。

市内の職員は、それどころではなかったのだろう。

校舎内外の記録写真を撮るとともに、当面休校の旨、画用紙にマジックで書き、

町内の掲示板に貼って回った。

 

発災翌日夕刻には福島から電源車が到着し、学校の明かりだけは付いた。

学校だけだが、それでも暗闇に光があることで少なからずほっとしたと

後日地域の方から伺った。

 

【執筆】
前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第3話)