その日私は勤めていたイベント会社の仕事で、
地元の吉谷小学校の創立130周年記念でレンタルしていた椅子を引き上げ、
2トントラックを運転していた。
市内のベイシアの脇の道路を走っていた時に、トラックが大きく左右に揺られた。
「参ったー、パンクか」
次の瞬間、ベイシアの外の通路の天井が大きく崩れ落ちるのが見えた。
するとカーラジオから中越地域で大きな揺れを観測したとの第一報。
しばらく車を止め、会社に電話するが当然繋がらない。
「休みも溜まっているしこうなったら有給休暇だ」と自分で勝手に判断し、
自宅へと引き返した。
かなり遠回りはしたが、自宅に帰ると家族は全員無事。
余震が頻発するので家の中には入れない。
学校の校舎も耐震ではないため入場許可が出ないようだ。
先生方は式典の礼服のまま、グラウンドに仮設テントを設置してくれた。
高齢の母親はそこで休ませることにして、私たち家族4人は車の中で一夜を過ごした。
外は星空がきれいで、ヘリの音だけが騒がしく鳴っていたのを覚えている。
(つづく)
【執筆】
小千谷市にぎわい交流課 地域づくり支援員 石曽根 徹(第1話)
元小千谷市地域復興支援員(小千谷市産業開発センター所属)